シリーズ「信州の戦後80年つなぐ、つながる」です。
戦時中、訓練用飛行機に使われた木製のプロペラ。長野市にかつてあった飛行場の歴史を今に伝えます。

浅野盛男さん:「これが木製のプロペラなんですよね」「木製ですか」
長野市の犀陵中学校に保管されている木製のプロペラ。
地域の歴史に詳しい浅野盛男さんは、戦時中、訓練用の飛行機に使われたプロペラだと話します。
浅野盛男さん:「何分にも物資のない、少ない戦時中のことですから、ましてやここをご覧になってください。このプロペラは何機種もの飛行機に使い回しをした跡が残っている」

木製のプロペラは3メートル近くあります。
浅野盛男さん:「ここを穴が開いている。終戦間際にアメリカ軍に飛行場が攻撃された際にこのプロペラも被弾しまして、銃弾が貫通しています」

終戦間際の1945年8月13日、47人が犠牲となった長野空襲。市内の国鉄の車両基地や飛行場の周辺が、アメリカ軍による爆撃に遭いました。
終戦から80年ー。飛行場があった場所はいま、住宅地となり、犀陵中学校は滑走路の上に建っています。
浅野盛男さん:「飛行機の乗り方だけ練習して技術を習得した青年がここから九州へ渡って、九州から特攻へ出るというふうな戦争のバックヤードのある飛行場なんですね。(跡地が)学校になったことに私は非常に大きな意味があると思っております」
浅野さんを中心に、地元の商工団体は今年初めて、長野飛行場の歴史を後世へつなぐイベントを企画しました。