父:
「股関節が痛いと言って、夜も寝られなくて夜通し痛いと」
「病院に行ったら(白血球の)数値が異常だといって、入院でしたね」

下された診断は、「急性リンパ性白血病」でした。


母:
「まさかと、思いますよね、これからどうなっちゃうのかなとか、野球はどうなっちゃうかなとか、大輝にどうやって伝えようかなとか・・・」

その後、抗がん剤などによる、過酷な闘病生活が続きました。

中学3年の冬には一時、病状が回復し退院。

大輝さんは5人と共に、長野日大に進学しました。

入学式の日、6人で交わした約束があったといいます。


小山君:
「みんなで野球部に入って甲子園を目指そうっていうのは話しました」

しかし、体力の不安などから、野球部に入ることはかなわず、その後、病気が再発。

骨髄移植もしましたが、白血病の細胞は骨にまで転移していました。

母:
「大輝の方が病気と向き合っていました、私の方が怖くて・・・」
「病気のことを理解して、納得がいくまで主治医の先生や看護師と話していました」

亡くなる間際、意識がもうろうとしていた大輝さんに、贈られたものがあります。

「乗り越えろ!」などと記された、5人が寄せ書きしたボールです。


母:
「大輝にこのボールを握らせたら目が開いたんです」
「その翌日の夜に亡くなりました」