「みんなお揃いでおー!こんにちは久しぶり」

9歳から16歳まで上田市で暮らしていたダニエルさん。

もともとはテニスの経験者でした。

アメリカの大学を卒業後、父親に誘われ、ピックルボールと出会いました。


ダニエルさん:
「一緒に毎日トレーニングして、一緒に全米大会出ようよってなって、同じ日にシングルスの大会を僕はオープンの方で、彼(父親)はシニアの部で同じ日に優勝した経験があって、そっからけっこうガチになって、本格的にやっていこうよって…」

練習を重ねて、2014年から17年まで全米の大会で9回優勝。

同じころ、再び日本に戻り、普及活動を始めました。

ダニエルさん:
「その(最初の優勝の)ちょっと後に僕が日本に戻ってくることになったんですけど、日本に住むならピックルボールがあってほしいなと思って、持ち込んで、そこからちょっとずつ普及活動とかしてたんですけど」

県内では上田のほか、佐久や小諸、長野、山ノ内町、木曽町など東北信を中心に8か所に組織が出来ました。

この日の練習には、まだ始めてから2回目という20代の男性から、70代までの男女10人余りが参加。

中には練習と交流を兼ねて、片道2時間かけて木曽町からやってきた人も…。

木曽町から参加・山崎孝宏(やまざき・たかひろ)さん:
「中信とか南信はバドミントンがけっこう盛んだったので、やっぱり同じラケットスポーツというところで、とっつきやすい部分はあると思うんですよ。だいぶ盛んになるとういか知名度も上がってきたので、ぜひ近隣の町村にも広まってほしいなという思いはあります」

レベルの差が開きづらいため、対戦相手は「焼き鳥」の串を使って、ランダムで決めています。


飯森会長:
「誰とでもすぐ一緒にダブルスですぐゲームができるじゃないですか、そうするともう、どんどんどんどんピックラーの友だちができてくる」