◆明るさの裏に隠しているもの
金聖雄監督:千葉刑務所の話をする時は、どういう気分なんですか?
桜井昌司さん:いや、故郷を語るよう(笑) 十何年も過ごしたら、故郷じゃないですか。皆さんはご存知ないでしょうけど、職員がいて受刑者がいて、本当に一つの社会なんですよ。要領の良い奴もいれば、悪い奴もいるし、根性の悪い職員もいればいい職員もいる。刑務所に入ったことによって、救援会の人に出会った。正義や真実を守っている人と出会って、「こんな生き方があるんだ」と教えてもらった。あの刑務所生活が自分にとっては人間として蘇る力になった。音楽クラブで歌ったりとか、楽しかったなあ。
桜井昌司さん:31歳で千葉刑務所行きが決まって。人生は一度限り、今日は一日限りと分かって「だったら今日から毎日、千葉県刑務所で自分がなしうることを一生懸命やって、自分が満足する生き方を貫こう」と思って、それから貫いてきた自信がありましたね。だから、自分にとって刑務所の中の18年間が青春だった。

発言を聞いて、びっくりしました。最高裁まで争って、31歳の時に無期懲役が確定。拘置所から千葉刑務所に入りました。そこからの18年間が「自分の青春だった」と言っています。
逆に言うと、そう言わざるを得ない状況ではあったのでしょう。明るく話していますが、例えば金属製の腕時計が今でも着けられないそうです。手錠を思い出すんでしょうね。長い間、ずっと耐えてきたことによる心の傷は、実は癒えていません。しかし、桜井さんは本当に前向きに生きようと考えてきたようです。歌はとても上手で、音楽クラブに参加して歌ったり、自分で詩を書くようにもなったりして、作詞・作曲もしています。その一つの詩を紹介します。
1967年10月10日
夜風に金木犀は香って 初めての手錠は冷たかった
1967年10月15日
人をだました心が 自分自身をも裏切って 嘘の自白をした
1970年10月6日
嘘が真実に変わった 人殺しの犯人だと裁判官が言った
(桜井昌司 獄中詩集より「記念日」)







