次の転機は、2009年のマツダスタジアム開業です。次はサッカースタジアムだと言う機運を盛り上げるため、2012年、県サッカー協会とサンフレッチェ・サンフレッチェ後援会が、「START FOR夢スタジアムHIROSHIMA」を立ち上げ、署名活動など積極的に展開します。

サンフレッチェ広島 森崎和幸 選手(当時)
「専用スタジアムとタイトルがぼくの夢なので」
サンフレッチェ広島 森保一 監督(当時)
「次はまた専用スタジアムで…」

サンフレッチェはその年のシーズン、リーグ戦初めての年間優勝を果たし、37万筆の署名が集まったことを、広島市などに報告しました。
サッカースタジアム検討協議会が設置され、具体的な候補地の検討に入りました。しかし絞り込みは難航。「広島みなと公園」と「旧市民球場跡地」の2か所を候補地として残し、報告しました。
県と広島市・商工会議所の3者は「広島みなと公園」を優位とすると表明しましたが、地元の港湾業者からは、試合開催時に輸送の定時制が保てないと反対の声が上がります。そして…