自分が「生後9ヶ月で被爆」と知ったのは…

広島県被団協 佐久間邦彦理事長
「母は、当時土間があって、そこで洗濯をしていた。『その時にピカッと光った』って言っていた。様子がおかしいということで、私を連れて、背負って逃げたということ」

母は、近所に焼夷弾が落ちたと思い、逃げようとしたということです。

広島県被団協 佐久間邦彦理事長
「とにかくここをよじ登るのが大変だった、というのは聞いています」

佐久間さんの額にできた傷を手当てしてもらおうと母は救護所へ向かいました。

広島県被団協 佐久間邦彦理事長
「雨にあったのはこのあたりみたいですよ」

逃げる途中に、黒い雨を浴びたそうです。

佐久間さんが、こういった自らの被爆体験を知ったのは、中学1年の時…。

広島県被団協 佐久間邦彦理事長
「手帳を申請する時に、おふくろが初めて『こういうことがあったよ』って話を聞いた。1957年、昭和32年のころ」

それは、被爆者健康手帳の交付が始まった年でした。

広島県被団協 佐久間邦彦理事長
「原爆の話そのものは学校では教えられた。まさか自分のこととは全然…結びつかなかった」