最後に足を運んだのは原爆ドームでした。被爆前、広島県産業奨励館と呼ばれたこの建物は、木造の建物が並ぶ当時、レンガ造りの建物は広島のシンボルの一つとなっていました。しかし、原爆により半壊状態に。鉄骨もむき出しとなり、頂上の円盤の形から、いつしか市民から「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。

香取さんは、原爆ドームの説明文に目を落とします。「1個の爆弾によって20万人を超える生命が失われ、市街地が廃墟と化した。この悲痛な事実を後世に伝え、人類の戒めにするため、永久に保存する」。読み終えた香取さんは…。

香取慎吾さん
「『この悲痛な事実を』って、事実っていう前につく言葉にしては、おさまりきらない。この悲痛っていう…」
「知れば知るほど、なんか進まなきゃいけないはずなのに、もっと未来に向けて、平和に向けてって思いはもちろんなはずなのに。いざ来てみて重さを感じると、ちょっと悔しいですけど、『その一歩、そんなに軽くないですよ』って言われているような気もしてしまう」

78年前に起こったこと、現在、そして未来。さまざまなことに思いを巡らせ平和公園を歩いた香取さん。「ここに来なければ分からなかった」と話します。

香取慎吾さん
「ニュースだったり、映像でずっと広島、この原爆ドームも見てきましたけど、実際に来てみて感じるものは、全く違うものですね。映像とかが伝えようとしてくれるものが、自分には伝わっていると思っていたけど、全然遠いものだった。やっぱり、実際に足を運んでみて、感じる思いっていうのは、ここに来ないと分からないんだって、とても感じました。知っていたはずなのに、知らなかった。本当に改めて平和を願う自分の思いを、より強く願えるように、きょう僕は少しは変われたかなと思います」

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