「藤田さんから応援してもらえなくても、会派の人を紹介してもらえるという期待はあった」

弁護側の質問
─ 藤田被告は案里さんの応援はできないと、なぜ言ったと思いますか?
「うっすらとした記憶だが、溝手先生を応援したいからとおっしゃったとうっすら記憶しています」
─ 県連の選挙対策委員で案里さんを応援できないという決定をしていましたね。
「県連として組織の応援はしないが、ただ個人としては活動をしばるものではないという認識でした」
─ 藤田被告から案里さんを応援できないと聞いても、まだ応援してもらえると思いましたか?
「藤田さんに応援していただけないのであれば、藤田さんの会派の中で応援してもらえる人を紹介してもらえないかという期待はありました」
─ 藤田さんと懇意にした事情は何がありますか?
「藤田さんの率いる会派で私の広島第三選挙区に3人の広島市議がいました。全員が私の選挙を積極的に応援していた人ばかりではないので、私の選挙に声をかけていただいて、できれば振り向がいてほしいという期待感もありました」
─ あなたは県連の会長になりたかったのですか?
「なりたかったというか、じゅんぐりに回していました。なりたいとかではなく私の元にも回ってくると信じていたところ、当時の会長、外務大臣でお忙しくされていた岸田さんの任期が延長され、私より国会議員の職歴の浅い宮沢洋一さんが会長についた事態をふまえて、私の後援会からは河井克行によっぽど何か欠陥があるのではないかという声が出てきました。私は是が非でも会長になりたいと思ってはいませんが、心配の声が広がるにつれて職歴で職歴で回すべきだと考えるようになりました」
─ 藤田被告に100万円渡したときに、県連会長に関する話題を持ち出しましたか?
「はっきりは覚えていませんが、覚えていないという前提で話すと、自分から県連会長になりたいと明示的にいうということはしませんでした。藤田さんの方からそろそろ河井さんにならないとおかしいよねとお声がけはあったが、私の方から切り出したことはありません」
─ 口には出さなくとも気持ちはあったんですか?
「あったかもしれません」
─ 藤田被告に氷代・餅代をいつ渡すようになりましたか?
「懇意になってからです」
─ 懇意になってから渡すようになったのはなぜですか?
「藤田先生の率いている会派には私の広島県第三選挙区の市議もいて、藤田先生の兄弟も安佐北区にお住まいで、日常の政治活動や次の選挙を考えて応援してほしいと思ったのと、藤田先生ほどのお力をお持ちの方に応援していただけるとありがたいと思ったからです」
─ あなたが起訴された令和2年7月8日の前日に供述調書が9つ作られた記憶はありますか?
「よく覚えていません」
─ 作られたとしたら内容を確認しましたか?
「署名したのであれば内容は確認していると思います」
─ 検察での取り調べのときに「藤田が3月下旬に50万円受け取っていますよ」というようなことを言われましたか?
「覚えていません」

裁判官の質問
─今現在、藤田被告に対してどんな気持ちですか?
(10秒~20秒沈黙)
「せっかく、藤田さんは広島市議会の中で、長年に渡って活躍してこられました。
もっともっと、これからも広島市議会の発展のためにご活躍いただきたいと願って、これまでお付き合いさせていただきました」
「私の件に関わって巻き込まれてしまった藤田さんの市政にかける志、思いを途中で途切れさせてしまったのではないかと、先ほど皆様方に対するお詫びを申し上げましたが、藤田さんにも同じような謝罪の気持ちを抱いています」
閉廷後、克行氏が証言台を立つより先に傍聴人は退廷するように言われ、最後まで克行氏の表情を見ることはできませんでした。