生徒・教職員676人の命が奪われ…9つ上の姉は遺体も見つからず 母は仏壇の前で謝っていた

加藤さんに大きなけがはありませんでした。しかし、広島市中心部を見てみると…。

加藤八千代さん
「もうすごかったですよ。広島中が火の海ですもの。すごい煙がわーっと。時々、火柱がわーッと上がって」

その中心部では、市女の1・2年生541人が空襲に備えて防火帯を作る建物疎開作業に当たっていました。爆心地からわずか500メートル。全員の命が奪われました。

加藤八千代さん
「本当に、たくさん、たくさん。1・2年生ってまだ子どもですからね」

建物疎開中の1・2年生541人に加え、市女の生徒・教職員の犠牲者は676人に上りました。残された遺族の悲しみは癒えることはありません。

福山市に住む大村宏子さん(82)です。9歳上の姉で、市女の2年生だった藤井満里子さん(当時13歳)を原爆に奪われました。当時4歳だった宏子さんに満里子さんの記憶はありません。それでも家族からは年が離れた宏子さんをとてもかわいがっていたと聞かされていました。

大村宏子さん
「私は団子鼻なんですよ。兄も団子鼻でそれで私の鼻の穴が三角だったから歌を作ってくれたっていってね。だけど、私は残念ながら『三角の鼻の穴の歌』は全然知らない」

8月6日、宏子さんは母たちと爆心地から2.5キロの自宅にいました。大きなケガはありませんでしたが、満里子さんだけは帰ってきませんでした。爆心地近くで建物疎開に従事していた満里子さんは、遺体も見つかりませんでした。唯一見つかったのが当時使っていたかばんでした。満里子さんの母は、亡くなる3か月前に原爆資料館へ寄贈するまで、このかばんを大切に持ち続けていました。

大村宏子さん
「仏壇の引き出しに、カバンが入っていたたみたいですね。小さな仏壇の前で『満里子ちゃん、ごめんね、満里子ちゃん、ごめんね』ってね、母は謝ってた」

宏子さんは今回、広島で開かれるG7サミットについて、「話し合いで終わらないでほしい」と話します。

大村宏子さん
「ただ集まって話をして、それで終わって、今と変わらないのなら、あまり意味がない。そのあと何にもなかったんなら、何のためのサミットだったんか分からないから」

たくさんの後輩を失った市女の卒業生、加藤八千代さん(94)は、平和な時代に暮らす日本の若い人たちに伝えたいことがあります。