住宅建材メーカー「ウッドワン」(本社:広島・廿日市市)は来年、県北の庄原市で新たに県産材の製造拠点を稼働させる計画です。「衰退していった国内の林業にチャンス。国産材を使う時代に入ってきている」と代表取締役社長の 中本祐昌 さんは、出演したRCCのラジオ番組で語りました。木材産業のこれからを聞きました。

本名正憲 アナウンサー(以下、本名)
中本祐昌 社長は、1960年(昭和35年) 、広島県生まれ。住建産業(ウッドワンの前身)への入社が1984年(昭和59年)、社長に就任されたのが2001年(平成13年)。

ウッドワン 中本祐昌 社長
ほう。長いですね。

本名
ウッドワンに社名変更されたのが、その翌年ということですが、それは社長も代替わりして、新たなスタートを切るというのもあったんでしょうか?

中本社長
それも1つあったんですが、「JUKEN」とサンフレッチェのユニフォームの背中に入れていたんです。よく間違われたのが、「受験」の会社とか、「銃と剣」で「武器作ってるんじゃないか」とか、いろいろ勘違いされて、この際、もう社名を変更しようと。ウッドワンというのは、わたしたちの社業を表すいい言葉なので。もともとは「WOOD ONE」というのは、わたしたちが出している広報誌の名前だったんですよ。それを転用して、ウッドワンと変えました。

本名
どういう心がこもっているんでしょう、ウッドワンという名前には?

中本社長
やっぱり、木材業界で一番になりたいという気持ちがありますね。

本名
まだ一番じゃないんですか?

中本社長
ないんですよ。残念ながら。

本名
もともと、1935年(昭和10年)に当時の佐伯郡吉和村、現在の廿日市市で木材業創業というのが、そもそものスタートなんだそうで。これは、社長のおじいさまにあたられるんですか?

中本社長
そうですね。中国山地の広葉樹とか、杉を製材して、それを仕事にしていたんですけど。

創業時 画像提供ウッドワン

本名
伐採はしていなかった?

中本社長
伐採はしていました。どちらかというと、わたしらの本業は林業なので。それがもともとの仕事ですね。ところが、林業というのは、木を植えて収入を得るまでが長いので、50年・60年かかりますでしょ。切るまでにね。そうすると、その間ずっとお金が使いっぱなしなんですよ。生きていけないんで、生計を立てるために始めたのが、今の住建産業であり、ウッドワンなんです。

本名
今はもう、海外の拠点ニュージーランドは有名ですが、上海・香港・インドネシア。やはり国産材から外材という流れというのはあったわけですね。

中本社長
廿日市の方に工場を作って、吉和から出てきたんですが、わたしの兄までは吉和生まれなんですよ。わたしから廿日市の方で生まれたことになっていまして。その頃にちょうど、「これからは外材時代だ」というので、港のある廿日市に出てきたんですね。

1956年 中本林業 廿日市市(串戸港)に移転 画像提供ウッドワン

本名
それは、やっぱり価格的にも安いということがあったわけですか?

中本社長
そうですね。あの頃の南洋材というのは、もともとタダですから。片方で日本の林業というのは植林木ですからね。競争できない。勝てるわけないですよね。そういうことで、廿日市の港の方に出てきたという。

本名
そののちにニュージーランドに、ということになったんですね。

中本社長
そのあと、いろいろやり始めてですね、1990年にニュージーランドというのは、国家として破綻しかけたんです。財政破綻して。運輸省も3000人ぐらいいたらしいですが、50人まで落として、同時にナショナルバンクであるニュージーランド銀行も海外の会社に売っちゃったと。そういう時期があったんですね。そういう財政立て直しの一環に、国有林を売却するという話が出てですね。わたしらはもともとが林業が本業なんで、これは出るべきチャンスだということで、ニュージーランドへ出たと。

本名
切るだけではないと。そこなんですよね。

中本社長
植えて、育てて、切って、また植えると。林業をやっている人間は、自虐的に言う話があって、「馬鹿が3代続かないといけない。植える馬鹿に育てる馬鹿に切る馬鹿」と。で、この切る馬鹿が植えて、初めて生業として回っていくわけです。ところが、ニュージーランドは1代でできるんです。30年で伐採できる60センチの木になりますんでね。