
「広島ですか…。生まれは長崎なので、なかなか故郷とは言えないかもしれないですけど、長崎生まれ・広島育ちだと思いますし、広島は本当に第2の故郷としてホームタウンっていう自分の帰るところかなっていう感覚ではいます」

― 広島での経験は、例えばワールドカップであるとか、代表監督で生かされている部分はある?

「広島で生活するようになって、人としても、サッカー選手としても、指導者としてもいろんな教育を受けさせていただいて、経験させてきてもらった中で今の自分があると思いますので、監督としても自分がつくられた街だと思っていますので、全てが生きているかなと思います」
当時の映像と、当時を知る人の話を見てもらいました。

森保監督
「利重さんじゃないですか…」


「ははは。小僧ですね。懐かしい」

「決してボールリフティングがうまいとか、足がむちゃくちゃ速いというわけではないが、そのときそのときの判断のスピードが早い」


「若っ!」
森保監督 1992年当時
― サッカーの一番の魅力は?
「チームプレーですよね。誰かが誰かを助ける」

「入部したときは、パンチパーマで寮に入ってきましたけど…」
「パンチパーマじゃないよう」

― なぜ、変わった?
「サッカーをまじめにやらなきゃって思った瞬間にあの髪型に決まったんだと思います」
「応援はありがたいんですけど、自分の映像を見ると、ちょっと恥ずかしすぎますね」

「高校卒業して、確かに初めてパーマをかけたので、強めになっていました」
「何で勝負できるかっていうので、判断やスピードで勝負しないと、なかなか身体能力の高い選手・能力の高い選手たちには勝てないなっていうのはあったのかなと思います」



「広島に出てきて、今西さんに教育していただいたことを今、実践しているという感じですね。メモすることも、まずはサッカー日誌を付ける。日々の成果と課題を整理しながら次に向かっていくということは、今も試合中にもやっているメモですし」