「自分が助かりたいから母を背負って逃げたのか…分からない」
高倉光男さん
「わからないんです。姉さんを助けたい。おふくろを助けるのが大事なのか、自分が助かりたいためにおふくろを背負って姉を見殺しにして逃げたのか。
でも私は、『お母さん、助けて』という姉を見殺しにしたことは事実です。だから、しゃべりたくないんです。だから、原子爆弾のことを思い出したくないの。誰にも言いたくないの。言うと悲しくなって、涙が出て。今でも…言えません」
光夫さんは、「今後、原爆でこういうふうなことはあったら世界中、同じようなことがどこでも起こるんじゃないかと思います」といい、「原爆だけがいけないのではない」と力を込めます。
高倉光男さん
「原爆だけがいけないんじゃないと思います。戦争は、なんでもいけません。武器を使う戦争は。小銃であれ、ピストルであれ。原爆がいかんで、大砲がいいなんて、そんなアホなことありますかいな。とにかく武器はいけませんよ。戦争はいかん」
被爆から50年。自分の家族にさえ被爆体験を語らなかった高倉光男さんは、このインタビューの翌年、亡くなりました。
【関連記事】
「火を付けよと言われ」最愛の娘に自ら火を… 涙ながらに心で詫びた 2人の娘を奪われた母親がつづった慟哭【被爆80年 いま伝えたい被爆者の声】
8歳で覚悟した「死」 頭髪は全て抜け 医師から「もう命がない」と告げられ 80年で初めて語るあの日の記憶【被爆80年 いま伝えたい被爆者の声】


































