広島を拠点にことし、30代後半で、あるプロスポーツにデビューを果たした女性がいます。10代・20代の同期たちに囲まれ、新しい夢をつかんだ彼女の思いを取材しました。
行きつけのお店で楽しそうに談笑しているのは、中原恭恵さん、38歳。一見、普通の会社員に見えますが、実はことし、デビューした競輪選手なんです。

中原恭恵 選手
「両親は反対でしたね。その年齢から?みたいな。無理でしょ、みたいな」
もともとの夢はオリンピック選手。陸上部だった高校時代に夢見て以来、ひたすらに努力を重ねてきました。その後、トライアスロンを経て、自転車競技に転向。2019年、ついにパラトライアスロンの伴走者として東京パラリンピックへの出場切符を手にしますが…
中原恭恵 選手
「2020年のだから、本来だったら7月に行われていたものが、1か月前に中止。中止になって、9月に白紙にされちゃったんですね。そのときに、いやもう競輪しかないなって、そこで思った。うん、思いましたね」

当時、すでに34歳。しかし、次なる目標を定めた中原選手に迷いはありませんでした。決断したその年には選手養成所を受験し、36歳のとき、3度目の正直でようやく合格。
そして、ついにことし5月、競輪選手としてデビューを果たします。

中原恭恵 選手
「広島支部の選手たちが、誰も受からないと思っていたらしいので。だからこそ自分ががんばるしかない。覚悟決めてやっていたところもあるので」
ようやく立ったスタートライン。しかし中原選手を待っていたのは、葛藤の日々でした。

中原恭恵 選手
「なんかね、やっぱダメ。悶々としてるなって思う」
結果を出し続けなければ、生き残れない競輪の世界。11月の取材の時点で一度も1着を取れておらず、厳しい状況だった中原選手。
中原恭恵 選手
「自分がこだわっている走りは、やっぱり自分から風切ってっていう先行なんですけど、今できることをやっていて、この点数だから、何かを大きく変えなきゃいけないなとは思っています」

競輪選手であり続けるためにこだわりを捨てるのか―。もがきながら過ごす中原選手のもとにその日は突然やってきます。
レース実況音声
「4番の中原が押し切るか、押し切るか、押し切った! 初勝利、4番の中原。果敢に仕掛けて後続の普久原、山口の巻き返しを振り切りました」
どうすれば勝てるのか、葛藤している中で話を聞いた、その3週間後、貫きたかった先行する走りでついに初勝利。いったい、何が彼女を変えたのでしょうか?

中原恭恵 選手
「『もっと自分に自信を持とう』ってノートに書いたんですよね。これだけ鬼のように練習している人はいないんだから。もっと自分に自信をもって走ろうっていう、そこが何か違っていたなっていう気はする」

大きな一歩を踏み出した中原選手が目指すものとは…
中原恭恵 選手
「目標は変わらず、1日でも長く現役で走り続けること。そこを目指してやっていきたいと思っています」
