「教師の卵」たちを出迎えたのは…ラストエンペラー?!

清朝のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀。首都、新京の宮殿を見学した際に、出迎えてくれたといいます。
Q.(溥儀さんの)顔が見えましたか?
石井哲代さん(104)
「見えました、見えました、そこへ出ちゃたんじゃけぇ。やっぱり緊張はしましたね。溥儀さんいうてね…」

「♪人民三千万、人民三千万♪、いう国歌を歌いました。ハッハッハ。…いうのは覚えとるね」
「そりゃそうよね。もう100年前の話をしよる。はっはっは」
「もう(撮影を)やめときなさいませ。栗を食べた方がえぇ」
哲代さんは、ハルビンで食べた3色アイスクリームの味が忘れられないということです。
また、観光学が専門で、せとうち観光専門職短大の内田忠賢副学長によりますと、「海外への修学旅行」は、哲代さんが行った翌年の1940年ごろから、戦況悪化のためできなくなり、再開したのは、戦後の1972年。宮崎県の高校が、韓国に行くまで32年間も、途絶えていたということです。