名簿は年に一度、湿気を取り除くための「風通し」が行われます。重さ300キロの石のふたを開け、120冊を超える全ての名簿を取り出します。

広島市はことし初めて、地下の様子を公開しました。せまい石室の中には28個の「奉安箱」が並び、名簿が大切に保管されています。

82歳の池亀さん。ことしは予想外の出来事が起きました。胃がんが見つかり、手術を終えてしばらくすると今度は体調を崩して1か月あまり入院しました。

書きかけの名簿は家族に届けてもらい、病室に持ち込みました。退院した日は、自宅に着いてすぐに記帳を始めたといいます。

池亀和子 さん
「やっぱり気が焦りますよね。入院の日にちがだんだん、だんだん長くなるので。先生に『帰らせてもらえないんですか』と言ったら『そうね、大役があるんよね』と…」

式典前日の8月5日、池亀さんはことし記帳する名前を全て書き上げました。

新たに追加した名前はあわせて5079人。亡くなった被爆者の累計は34万人を超えました。名簿には、池亀さんの平和への祈りも込められています。

式典前日の8月5日 名簿を書き上げる池亀さん

35回目の記帳を終えた 池亀和子 さん(82)
「安心いたしました。わたしは原爆に対していろんなことはできないし。ああ、これでやっとことしも済んだのだという気持ちです」

34万人の名前が、原爆被害の大きさを物語る死没者名簿―。名簿を通して平和の大切さを感じてほしい。当時、3歳だった被爆者の願いです。

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青山高治 キャスター
池亀さんがていねいに書かれる一文字一文字が供養であり、これまでに記された一人ひとりのお名前が被爆者の多さ、原爆の恐ろしさを伝えてくれています。

中根夕希 キャスター
約5000人という数字。1年間でこれだけ多くの被爆者の方が亡くなられていると、あらためて痛感させられます。池亀さん、体調を崩したのですが、これまで35回関わった責任感もあり、入院中も記帳を続けたそうです。一字一字、ていねいに誠心誠意、書いてきたということです。

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※ 池亀和子さんは、2024年8月16日、胃がんのため亡くなりました。82歳でした。家族によりますと、8月6日の平和記念式典は、自宅でテレビを見ながら名簿が奉納されたことを見届けたということです。