「揺れ始めてから全く動けない状態、それぐらいの横揺れでした。砂ぼこりが落ちてきて、いろんなものがまるでスローモーションのように崩れていきました」

ショップ兼自宅は傾き、住むことができない状態に。妻の遥奈さんと避難生活を余儀なくされます。カヤックは数台が潰れてしまい、デザイン用の機材も被害に遭いました。地震は地元の観光業にも大きな打撃を加え、進めていた事業は暗礁に乗り上げてしまいました。

「『一緒にやっていこう』と言ってくれていた企業などのこともあったし、能登に残って復興のために今後のプランを立てていこうという思いもあったんです。能登のために何かしなくてはいけない、そう悩んでいた私に友人から『今、一番自分にとって大切なものは何かを考えたほうがいい』と声をかけられました。一番優先しなければいけないもの、子どもが安全に生まれて、妻もストレスのない環境で出産を迎えることができる場所、それを提供することが自分の一番の仕事だと気づいたんです」

被災時、妻の遥奈さんは3か月後に第一子の出産を控えていました。「能登で産みたい」と願っていた遥奈さんですが、通っていた病院も断水に。能登での出産はかなわなくなり、2人は遥奈さんの実家がある大阪に身を寄せることになりました。

ジョニーさんは大阪と石川を行き来しながら、ボランティアを続けていました。遥奈さんの陣痛が始まった日も、七尾市から車で駆けつけて出産に立ち会うことができたました。

2人でカーラジオを聞いていたとき、流れてきた曲。「 “世界に一つだけの花” 妻が『一花』がいいんじゃないかって。2人とも『いいね』って」

一花ちゃんが生まれ、守るべき家族は増えましたが、ジョニーさんは仕事も住む場所も失ったままでした。