「正直帰りたくなかった」石川出身の僕が大切な人たちから託されたこと

電波を求めて町を移動する中で、友人と再会するたびにお互いに「大丈夫だった?」「よかったよかった」と声をかけあい、胸をなでおろしました。さらに、避難所や炊き出しの手伝いなどで再会した地域の人が前向きに生きようとする姿に元気づけられたといいます。

地震発生から1週間後…。余震が続くなか、家族の元を離れて暮らすことに不安を感じましたが、両親にも背中を押され大学に通うため1人、広島県尾道市に戻りました。

道端享介 さん
「正直、自分はまだその時(尾道に)帰りたくなかったです。余震がある度に家族にメッセージを送ったり、たまに電話をしたり」

遠く離れて暮らす大切な家族のこと、生まれ育った自然が豊かで大好きなふるさとのこと、今でも毎日のように考えています。

「1日でも早く元に…元に戻ることはできないかもしれないけれど安心して過ごせる日が来てほしいなというのが1番の願いです」

地震から2か月余り…。道端さんは、倒壊した住宅や瓦礫、道路に入った大きな亀裂、アスファルトの地面から飛び出したマンホールなど町は今もなお発生当時から変わっていないと話します。石川県から遠く離れて暮らす今の自分にできること、それは地震の現状を伝えることだと感じています。

石川県を発つ前、地域の人や家族に頼まれたことがありました。

道端享介 さん
「石川県のことはニュースでたくさん報道されているけれど、実際に行かないと分からないことは多分たくさんあると思う、だから『被害の現状をいっぱい見せて、そして伝えてきてほしい』と。何気なく一緒に生活してすぐ近くにいる人や、いつも遊ぶ友達、今を大切にしてそれが当たり前ではないことを分かってほしいなと思います」