戦後77年を迎えた沖縄。20万人余りの犠牲者の名前が刻まれた平和の礎には、早朝から多くの人が訪れました。

浦添市在住の男性(91)
「この人たち親せき同士ですよね。うちはこの時、これだけ亡くなりました」

南城市在住の女性(80)
「お父さんも戦争で亡くなって、ロシア・ウクライナの戦争が、たくさんの孤児が出て、本当にかわいそう。お父さん、平和を願ってください」

豊見城市在住の女性(78)
「もう何もできない…ごちそうもつくってこれないけど、これで我慢してねって、みんな死人がいっぱいいてですね、あちこちに。うちの兄なんかも死人の上からもあるくような感じでこんなだったよっていう話をきいている

那覇市在住の男性(83)
「(姉は)避難壕で避難中に艦砲で破片に当たったの、私の目の前で。目の前っていうか側でね、即死です。自分が小さいときはもう…思い出したくもない」

玉城知事(平和宣言)
「私たちは、沖縄から世界へ平和の声をつなげ、二度と沖縄を戦場にさせないために、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けてまいります」

岸田総理
「今もなお、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいています。政府としてこのことを重く受け止め、引き続き、基地負担の軽減に全力で取り組んで参ります」

総理の参列が3年ぶりとなったことし、会場からは抗議の声があがりました。

山内小2年 徳元穂菜さん(平和の詩の朗読)
「せんそうがこわいから へいわをつかみたい。 ずっとポケットにいれてもっておく、ぜったいにおとさないように、なくさないように、わすれないように」

14歳から19歳が沖縄戦に駆り出された学徒動員。およそ1000人の学生が犠牲になったとされています。

負傷兵の看護のため動員された「ひめゆり学徒隊」の慰霊祭。新型コロナの影響を受け3年連続、規模を縮小。25人の参列者のうち、元学徒は2人でした。体験者の参列が減るなか、記憶の継承が課題です。

元ひめゆり学徒隊 島袋淑子さん(94)
「生きたことは始めはとてもすまないという気持ちもありましたけど、でも私たちがこのことを伝えなければという気持ちに変わりまして、今は自分の生きている限り、戦争はだめ、平和が大事ということを伝えていきたいと思っています」

糸満市摩文仁の沖縄師範健児之塔。切り込みや特攻作戦で命を落とした、鉄血勤皇隊師範隊などおよそ300人の名前が刻まれています。

3年ぶりに開催された慰霊祭には、遺族が参加しましたが“お国のために”と戦場に駆り出された元学徒の姿はありませんでした。

参加した遺族はー

渡嘉敷村の遺族(73)
「(叔父は)水汲みの当番にあたっていて下の井戸に水汲みに行ったら帰ってこななった 艦砲にやられて」

前回までは参加していた生存者たち。高齢による体調不良などの理由で足を運べなくなっています。