ロバートソン ライシュラムさん
「当時、地元の人々は第2次世界大戦ということさえ知らなかった。地元の人はこの戦いのことをJapan‘s War、日本の戦争という風に言っていた」

南風原文化センターで講演した、ロバートソン・ライシュラムさん。インド東部にあるインパール平和資料館から来ました。ライシュラムさんが働くインパール平和資料館は、第2次世界大戦におけるインド東部の戦闘や、戦後の住民の暮らしを伝える資料館で、2019年にオープンしました。

ライシュラムさん
「真ん中にあるのは民間人です。民間人は先頭の合間を縫ってこのように必死にげていたことを表現している」

旧日本軍のインパール作戦は、十分な武器や食料がないままイギリス領のインドへ進軍し、3万人あまりが命を落とした無謀な戦略として知られていますが、インドの民間人も多く犠牲になりました。

資料館には犠牲になった住民、およそ220人の名前が刻まれた木のプレートが展示されていて、その1枚1枚に亡くなった日付と場所が記されています。こうした展示は、戦争を行った日本やイギリスではなく、戦争に巻き込まれたインドの視点に立っています。

ライシュラムさん
「南風原全体だけでなく、区ごとに人数を全部出している。本当に価値のある展示だと思う」

沖縄戦で亡くなった南風原出身者4000人あまりが記されたパネル。犠牲者との距離を縮め、78年前の戦争をリアリティーをもって感じさせます。実はインパール平和資料館は南風原文化センターをモデルにしていて、証言を元に当時の様子を再現。戦後の暮らしにもスポットをあてるなど住民の目線を大事にしています。

ライシュラムさん
「命のためにただただ爆撃から逃げ惑っていた。もっと多いかもしれないが、220人の民間人が命を落とした」