米軍普天間基地の辺野古移設に対する海上での抗議活動は従来、その日集まったメンバーの中から、船長や海に出る船の数を決めていましたが、最近では参加者が少なくなり、あらかじめ曜日で船長を決めていました。
出航可否をどのように判断していたのか
転覆事故の日、現場には波浪注意報が出ていました。元船長によると、船長らは日常的に、複数の気象データと「自身の目」で海の状況を把握し、出航の判断をしていたといいます。
元船長:
「いろんな天気図、風向き、4つぐらいのサイトの情報を見て総合的判断で。最終的には目で見て決めていた。例えば名護市に出る天気予報や風向きは西海岸と東海岸と全然違うので。最終的にデータだけに頼らずに目で見て判断、という意味です」
事故が起きたのは、水深が急激に変化する「リーフ」の近く。その危険性は死亡した金井船長が一番理解していたはずでした。
元船長:
「あそこを通る時は、本当に沖の方まで出ないと危ないというのは、船長全員に叩き込まれていましたし、今いる船長の中で一番技術的にも、海況について知識も優れてたのが(死亡した)金井さんだったので、本当になぜ? という気持ち」








