「捕虜になるくらいなら、死を選べ」
座間味島で生まれ育った敏子さん。
沖縄戦当時13歳だった敏子さんは学校で「捕虜になるくらいなら、自ら死を選べ」と教え込まれたといいます。
高江洲敏子さん:
「先生方が、米兵に捕まったら女は強姦されて捨てられるから絶対捕虜にされてはいけないよ、自分で死になさいという話だけ聞かされた。だけど私は、弾が当たって死んだら仕方がない。自分で死ぬことは絶対にやらないと心に思った。怖かったんでしょう」
命の危機は、外からだけではありませんでした。敏子さんの母親に投降を勧めた男性が、友軍であるはずの日本兵に殺害されたのです。

「夕方のたびに英語で、年寄り、子ども、住民には何もしないから出ておいで、ということを言っているから。『おばさん、こんなちっちゃい乳飲み子連れて、かわいそうだから出て行きなさい』と言ったおじさんは友軍に殺された」
81年がたった今も、どうしても食べられないものがあるといいます。
「あんなに食べたお刺身が、なんだか食べたくない。なぜでしょう。死んだ人たちの、あの生の、あの格好を見てるから」








