宜野湾のど真ん中の基地 「住民無視」
宜野湾市立博物館 平敷兼哉館長:
「空からでもこの松並木の線が綺麗に見えるほど大きな松もあるし、街道としてはとても美しかったと」
「返還後にはこういう松も、跡地利用でも結構(再現しようと)話題に出るようなんですけども、それがあるとまた宜野湾のかつての美しさをちょっとでも戻せたらいいなと思っています」

「活発な姉で、いつも私叱られていました」
今も大謝名に暮らす天久英真さん。16歳離れた姉・トヨさんの夫で、戦死した清松さんも同じ大謝名の出身でした。戦前、まだ幼かった天久さんは義理の兄、清松さんとの思い出はおぼろげですが、印象に残っていることがあります。
「昔は靴をはくということはないのに、靴をはいているのを見た(のを覚えている)」
清松さんは南方方面に出征したと聞いていますが、戦死した場所も分からず、墓には遺骨の代わりに石が納められているといいます。その兄たちが眠る墓はフェンスの向こう側です。

「しっかり手続きしてちゃんと入れるということではありますが、やはりね、お墓がそういうふうに手続きして入るというのがおかしいんであってね」
「30年前に返還、返還協定とかなんとかいってちゃんと返してくれるというのに(まだ返ってこない)」「まさに住民無視ですね。ありえないことですよ、これはね。しかも宜野湾市のど真ん中に構えていますからね。残念です」
今年、シーミーのために住民が基地内への立ち入りが許可された日は奇しくも、30年前、普天間基地の返還合意が発表された日と同じ4月12日でした。
宜野湾市によりますと、今年基地への立ち入りを申請した人はおよそ300人。10年前と比べると200人近く減っています。

妻と2人で姉たちが眠る墓を訪れた天久さん。重箱料理を並べたあと、手際よく、花と泡盛、線香を墓前に供えます。
「うちのご先祖は泡盛が好きでしたから。また子どもたちにも戦争で亡くなった方、お菓子持ってきたりして」「私ももう88歳で。これからあと20年だ30年だと言ったらちょっと危ないかもしれませんが」「10年と言わず5年以内に返還していただけたら、とてもこの年では嬉しいです」「88歳と言ったらもう明日向こう行ってもおかしくないからね。そういうことを申し上げながら、また来年会いましょうと(伝えた)」
81年前、戦争によって突然奪われたふるさと。1日も早く、戻ってくることを願っています。
戦争で奪われた土地を返してほしい。その願いは叶わないまま、沖縄戦から81年、そして普天間基地の返還合意が発表されてから30年がたちました。
RBCでは今月29日(水)午後4時50分から特別番組を放送します。ぜひご覧ください。











