ことしの2月に始まったウクライナ侵攻。その後県内には多くの避難民が移り住みました。そのうちのひとりの女性に、当時の過酷な状況と沖縄で始めた新たな生活について聞きました。

那覇市内にある日本語学校。ここで友人たちとともに日本語を学ぶのはアリナ・グラチョワさん27歳です。彼女の思い描いていた未来は戦争によって奪われました。

ことし2月24日朝。ウクライナ東部をロシアが侵攻。首都キーウなどへのミサイル攻撃や空爆が始まりました。両軍合わせておよそ20万人以上が死亡したとも言われ、現在もその惨劇は続いています。

この日、アリナさんはキーウにある自身のアパートにいました。

ウクライナから避難してきた アリナ・グラチョワさん
「爆発の音で起きました。でも信じられなかった。起きて、『今の爆弾の音?』と思っても、『いやいやあり得ない』と」

いつもと変わらない朝に、戦争は始まりました。

アリナ・グラチョワさん
「起きた時はたぶん大丈夫と思ったので、シャワーを浴びました。でも大統領の宣言を見て、ああ戦争が始まったんだなと自覚しました。アパートの近くに大きいバス停がありたくさん人をこのバス停に来ました」

アリナさんはこの日、弁護士の仕事も失い、夜には車で12時間かけウクライナ西部の町・故郷フメルニツキへの避難を決心しました。

ウクライナ侵攻開始からおよそ1週間後の3月2日、沖縄県議会では早期停戦とロシア軍の撤退を求める決議案を全会一致で可決しました。その2週間後には県がウクライナ避難民を受け入れる支援態勢について発表。そして4月10日に県内初となるウクライナ避難民の女性が自身のおじを頼り避難してきました。

現在、県内で生活するウクライナ避難民は16世帯、23人。アリナさんは数人の避難民と同じ、那覇市内の県営住宅で生活しています。

アリナ・グラチョワさん
「もう一年ここで勉強ます。そのあとで働くと思います」

いずれはウクライナと日本をつなぐ仕事に就きたいと日本語の勉強に励むアリナさん。学校でできた友人も異国の地で暮らす者同士、良き理解者になっています。

台湾人の友人
「みんな生活難しいと思います。早く終わったら良いと思います。いま沖縄の生活に慣れました。とても優しい人です。友達がいます。大丈夫だと思います」

4か月目に入った沖縄生活も、些細な出来事から平和を感じる貴重な時間になっています。

アリナ・グラチョワさん
「毎日アパートから海見えます。ああ、綺麗ですね。ちょっと心配じゃない。ちょっとリラックスです」

最近は近所の人とも交流が増え、その温かさに触れています。

アリナ・グラチョワさん
「第二次世界大戦の経験が関係していると思うけど、(沖縄の人は)私のこと、私の気持ちを分かってくれている気がする」

沖縄で力強く生きる彼女ですが、大きな心配があります。

アリナ・グラチョワさん
「母は『何かしないと頭がおかしくなる』と言います。毎日、毎時間、戦争や死のことを考えていたら頭がおかしくなる。とても難しいです」

アリナさんの戦争と隣り合わせの暮らしはおよそ8年前から始まっていました。

アリナ・グラチョワさん
「私の人生は2014年に戦争が始まったことで変わった。友人を亡くしたことで考えが変わった。心が砕けた」

ロシアがウクライナ南部のクリミア半島を併合したこの年、兵士として戦闘に参加した友人を亡くしました。

アリナ・グラチョワさん
「ことし大きな戦争が始まって、再び心が砕けた。そしてそれまでと生き方を変えようと思った」

戦争で人生が一変したアリナさん。過酷な経験を話しながらも私たちに笑顔を見せるアリナさんに、彼女が強く生きる理由を尋ねました。

アリナ・グラチョワさん
「今たくさんの人が死んでいる。私は生きて何かをしないといけない。死んだ人たちはウクライナを守るために死んだのに、私は何もできないから。だから挑戦する」

母国を強く想いながらも、歩みを止めず進み続けるアリナさんの沖縄での生活は続きます。