大阪で暮らして2年。今度は「大阪が危ない」と家族は再び動きます。

「戦争が始まってくると、今度は逆に “大阪が危ない” ということで、僕と弟、お袋3人で、逆に沖縄へ疎開したという事情やね」

空襲を恐れて選んだ「沖縄への疎開」。しかし、そこで家族は、激しい地上戦に巻き込まれることになります。

「まさか沖縄でああいうことになるとは、当時の人は分からんかったん違うかな」

地上戦の中を逃げ惑う

沖縄を砲撃する米軍艦(1945年)

沖縄戦当時、山端さんは5歳。旧美里村(現在の沖縄市)から避難する最中、家族3人は群衆とはぐれてしまいます。

「艦砲射撃がどんどんくるもんやから、途中ではぐれて、親子3人になってしまって」「木の下に3人でしばらくおった記憶はあるし、夜なるとお袋がイモ畑を探してきて、イモを取りに行ったりして、生で食べた記憶はあるね」