姪・奈歩さん
「その時々に会った人たちに救われた、こういうことも運命だったのかもしれない」
大阪に残っていた父親との再会は、終戦から2年後でした。
「靴を履いている」戻った大阪で沖縄との差に驚き

山端立昇さん
「我々は裸足の生活やないか、沖縄では。まず大阪に来るとね、靴を履いていたのを覚えているし、制服いうのもあったしね。びっくりしたなぁ」
父・立昌さんは、戦後、大阪で沖縄県人会を立ち上げ、沖縄の本土復帰運動にも力を尽くしました。その背中を見て育った山端さんも、同じ志を受け継ぎます。幼い頃に体験した地上戦が、今の活動の原点です。
「沖縄のために何ができるんかなっていうのが、県人会の役目やと思うんでね。知ってほしい、沖縄の現状を」
「戦争の経験があったから、ウチナー(沖縄)に対する気持ちがあるのかなと。誰にも言ったことないけど、僕はそう思ってるんやけどね。いつまでも沖縄のことには関心をもって、世の中、沖縄のためになるようなことをすべきじゃないのかなと思うね」
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