沖縄戦当時、米軍のスパイとみなされて旧日本軍に殺害された住民20人を追悼する集会が20日、久米島で開かれました。

久米島では、沖縄本島で組織的な戦闘が終わったあとの1945年6月26日、米軍が上陸したことをきっかけに、その後米軍への投降を呼びかけるなどした住民20人が、島の山中に潜伏していた海軍の通信隊「鹿山(かやま)隊」にスパイの疑いをかけられ、殺害されました。

犠牲者のうち、生後数か月の赤ちゃんを含む一家7人が殺害されてから80年となった8月20日、有志の会による追悼集会が開かれ、犠牲者を悼むとともに住民虐殺を後世に語り継いでいこうと平和への誓いをあらたにしました。

▼神里稔 実行委員長
「久米島の中でも、被害者、加害者とか、スパイ容疑をかけられた人がいて多くは語られてこなかった」「80年前に久米島でこういうこと(住民虐殺)があったと、多くの方々に伝えていきたい」

追悼集会では、彫刻家の金城実さんらが戦争の実相を伝えるために制作した、殺害された子どもを抱き上げる母親が刻まれたレリーフの除幕式も行われました。