2005年、田場の姿はフランスにあった。日本人初のプロハンドボーラーとして、
ハンドボール人気が高いヨーロッパで、世界で活躍する選手を相手に戦っていた。
当時日本代表の中心メンバーとしても活躍していた田場。しかし、オリンピック出場よりも優先させたものがあった。
(2005年の取材)
「オリンピックは4年後にあるんじゃん。(じゃあ北京は?)捨てても、このチームを作る価値があると思っている、今はね」

2007年、沖縄に戻った田場は、現在の琉球コラソンの前身、FC琉球ハンドボールチームを発足させた。
しかし選手、監督、GM、そして営業も担った田場は、資金集めに苦戦。理想とのギャップに、次第にアルコールが手放せなくなっていった。
田場はクラブの運営から手を引き、表舞台から消えたー