「若い人は判断力をつけて」
(スタンフォード大学フーバー研究所・上田薫学芸員)「私は初めて見ました。紙に書いているものは絵とかもすごく幼さが残るような感じですよね。描かれた方の。最後のメッセージに書かれた手紙を読んだりだとか、予科練の日々の生活が書かれたものを見ることによって、若い人たちにこれから学習して判断力をつけてほしい」

閉館後、資料は大分市内にある県護国神社に移され来年、戦後80年の企画展で展示することが検討されています。
資料は慎重に選別され神社に向けて車によるピストン輸送で運ばれます。まさに人海戦術です。
生き残った者の務め
(県護国神社 文化調査部・亀田雅弘さん)「非常に綺麗な状態で約80年たっても保存されているというのが奇跡的なことで、価値があるものだと思います」

「生き残ったものの務め」として喜一さんが遺した資料の数々。その中には靖国神社とこの資料館にしか現存しないという旧日本海軍の爆撃機「彗星」のプロペラスピナーもありました。
「物が語ることの大切さを知って」
開館日からちょうど36年目の14日、長男の孝康さんは喜一さんが築いた資料館の看板を外し、長い歴史に終止符を打ちました。

(川野孝康さん)「寂しいような気もします。展示物は手袋をして1点1点運び出す大切さがわかりました。父も言っていたんですけど、物が語ることの大切さを知ってもらえればと思います」
戦後79年、戦争の記憶を語る資料は新たな場所で平和の尊さを後世に伝えていくことになります。