──バスタオルに血が滲んで どう思いましたか?
「終わったなと。妻が死んだと思うた」

──その後はどうしましたか?
「すぐ娘の仏壇に行って、線香立てと線香を 持ってきて、すまんやったと手を合わせてソーセージやお菓子をあげました。娘のとこに行って成仏してくれと祈りました。疲れて布団に横になったら、そのまま寝てしまいました」

──後悔は?
「しました」

結婚約40年「仲がいい普通の夫婦」

75歳の被告は車いすで入廷後、右の耳に補聴器をつける。被告人質問などでは、弁護人や裁判官からマイクを通した声が聞こえているか何度も確認されながら公判は進行した。

被告は1987(昭和62)年に妻と結婚。子どもに恵まれたが、生後間もなく死亡している。被告によれば、約40年間の夫婦生活のなかで暴力を振るったことは一度もないという。

事件直後、夫婦が住むアパートの近所の人に被告と妻について話を聞くと「仲がいい。夫婦で買い物に行ったりと普通の夫婦だった」という。

法廷で弁護人から「夫婦喧嘩はあったか」問われると──

「大きな喧嘩はない。口では私が負けるので言い返すことはなかった」

被告は、地元の建設会社に勤めていたものの倒産。退職金280万円を得たが、このうち200万円が返済で消えた。「妻の親戚の保証人をしており負債を被った」という。その後、別の建設会社で働くものの、約8年で再び倒産。
次にアルバイトで務めた会社では『墓石を立てる』などの肉体労働をしていたが、次第に仕事がなくなり、最後は月に3日ほどだったという。

2021(令和3)年2月頃、「体も弱くなった」と感じて退職。以来、夫婦の収入は2人の年金のみとなった。2か月に一度、被告には19万円、妻には14万円支給されていた。