長崎の高校野球ファンの間では知られた溝田澄夫さん。小浜高校野球部の前監督で、2年前に亡くなりました。半世紀以上にわたって高校球児の指導に情熱を注ぎ、甲子園出場も果たした溝田さんの功績を称え、このほど、学校に記念碑が建てられました。

2年前に亡くなった命日、7月26日に記念碑が除幕されました。
溝田澄夫さん。生涯現役を貫いた名将です。

隣町で衣料品店を営むかたわら、23歳の時から半世紀以上グラウンドに立ち続け、70歳を超えてもノックバットを握っていました。

溝田澄夫前監督(2021年):
「タイミングが悪い!タイミングが!いっぱいいっぱいで飛ばないと捕れんぞ!ボール」
「ノックは選手との心のつながりですからね、ボールを間に置いて選手の息遣いといいますか選手の表情であるとか、監督をする間はできるだけ打つようにはしてますけど」
モットーは「心の野球」―。
選手と言葉を交わし、心を通わせていました。

溝田澄夫監督:
「腹筋のついてきよる、いいぞ」
「家の中で明るくしとかにゃ父ちゃん・母ちゃんが心配さすっぞ、調子の悪かときほど明るくしとかにゃ」
先月開かれた記念碑の除幕式には、溝田監督の教え子ら100人以上が駆け付けました。

硬式野球部初代部長 森周蔵さん:
「厳しくも愛のこもったノックをするあなたの声が、今にも聞こえてきそうです」

現監督 山口寛司さん:
「人としてどうあるべきか、指導者としてどうあるべきか、勉強させられることばかりで」

OB会長 関剛さん:
「今でも監督は私たちの心の中にいらっしゃる、甲子園初出場でも、開会式第一試合でございました」
溝田監督のもと小浜高校が夏の甲子園に出場したのは37年前。
そのときのメンバーは当時の監督についてこう語りました。

田中努さん(55)(2番・ライト):
「普段の監督はすごく笑顔がある方なんですけど、ユニフォーム着ているときの監督は一切笑うことがなかったんですよ」
溝田前監督(1988年):
「どういうつもりでやっているんだ!遊びかお前ら!キャッチボールが」
田中努さん(2番・ライト):
「怖い印象だったんですけど、あとで愛を持って接していただいたことを感じていました」「野球できること当たり前のことを当たり前と思わずに感謝してやっていくことを溝田野球を通して学ばせていただきました」
37年前、5歳だった息子の慶太さんは、現在、父の背中を追いかけ小浜高校のコーチとして活躍しています。

長男・溝田慶太さん(42):
「ものすごく大きい存在でした、もう父親のようにはできないと思いますけど、できる限りお手伝いをさせていただければ、それだけで嬉しいことだと思っています」
除幕式は、溝田監督の孫・芙紅(ふく)さんの演奏で締めくくられました。

溝田前監督の妻・久美さん:
「主人は2年前のきょう、左手に硬式ボールを握り、栄冠は君に輝くを聞きながら旅立ちました、グラウンドにテントを立てて暮らしたい、朝から晩まで野球をする選手を見ていたい、もっと練習がしたいんだと、選手のみなさんが恐ろしくて震えが来るようなことを口癖のように話しておりました」

「旅立った日から魂はずっとここにあるのだと思います、いつでも主人に会いに来ていただけましたら幸いです」
溝田監督(2021年):
「今から夏の大会の背番号を」
「1試合に1個くらいのエラーでお願いします、2つはだめよ」
「マメは育ちよるや?お、だいぶ育ってきよる」

54年間の監督人生。
「毎日一歩前進」を信条に歩んだ溝田さんの情熱はいつまでも受け継がれていきます。