1979年に77歳で死去した杉本亀吉・原爆被災者協議会初代会長は、爆心地から約1.5km付近の家野町にあった弟宅で被爆しました。
8月9日の午後、家族の安否を気遣い杉本亀吉・初代会長は、城山町の自宅を目指します。家族の無事を祈りながら近くの防空壕などを探し回るうちようやく母親と当時7歳の四男の姿に接しますが妻と2人の子どもは亡くなっていました。
戦後は長崎市の復興に奔走し、1956年、仲間と共に被災協を結成して初代会長を務めました。
1979年に77歳で死去した杉本亀吉・原爆被災者協議会初代会長は、爆心地から約1.5km付近の家野町にあった弟宅で被爆しました。
8月9日の午後、家族の安否を気遣い杉本亀吉・初代会長は、城山町の自宅を目指します。家族の無事を祈りながら近くの防空壕などを探し回るうちようやく母親と当時7歳の四男の姿に接しますが妻と2人の子どもは亡くなっていました。
戦後は長崎市の復興に奔走し、1956年、仲間と共に被災協を結成して初代会長を務めました。