故人は「真面目な好青年」

事故で亡くなった男性医師は、太田黒医師と同じ長崎大学医学部の出身でした。
太田黒崇伸医師:
「僕は直接の交流はなかったんですが、学生時代の男性医師のことを知る同僚からは、元気で真面目な非常に好青年だったと聞いています」
現場で命と向き合った6年間
かつて千葉県の病院で、6年間フライトドクターとして勤務した太田黒医師。
救命医として1秒でもはやく患者の治療にあたりたい、との思いからフライトドクターを志願しました。
太田黒崇伸医師:
「万全の装備が整っているわけではない環境下で医療を行わなければいけない。限られた時間の中で最大限の効果が出るように検査、治療を進める点では、やはり病院内で行う救急業務、救急医療とは違う。なのでそういう点をより洗練していくことを心がけていました」
“空の恐怖” バードストライクを経験
太田黒医師がフライト中に直面した危機の一つが「バードストライク」でした。

「バードストライク」とは、航空機が鳥と衝突すること。内閣府によると、日本では年間1,000件を超えるバードストライクが発生しており、2009年1月には、アメリカ・ニューヨークで「USエアウェイズ航空機」がラガーディア空港を離陸直後、ジェットエンジンが停止しハドソン川に不時着水。エンジンからは鳥を吸い込んだ痕跡が確認されています。
太田黒崇伸医師:
「飛行中、鳥がフロントガラスにぶつかってガラスが割れてしまった事故が実際に起こりました。その時には飛行上の安全は問題なく、近くのヘリポートに問題なく着陸できました」