むしろの下は…

父が運ばれた防空壕の中は、悲惨でした。

横山照子さん(83):
「防空壕には『むしろ』が敷いてあって、母はきつかったからそこに妹を寝かせようとしたそうです。でも…隣に寝ていたおじさんが『そこに子どもを寝かせたらダメよ。むしろを剥がしてみてください』って。はがして見てみたら、そこには排泄物やウジ虫がびっしり……。ここに寝せたらこの子は死んでしまうと、寝かせないで自分の背中におぶったままだったと。でもその時、既に妹は緑色の便をしていたそうです」

「もう死にたい」原爆が壊した妹の人生

当時1歳だった妹の律子さん。被爆後、律子さんは喉の腫れに苦しみ、翌年手術を受けました。しかし、声を出しづらくなる症状で苦しみは続きました。

「私たちが風邪をひくでしょ、声がかれるでしょ、ああいうときの声です。小さなかすれ声しか、出なくなって」