爆心地を歩いた…「ここどこ?」

8月18日、横山さんは疎開先から祖母とともに帰宅しました。その帰路で爆心地の近くを歩きました。

横山照子さん(83):
「爆心地のところを通った時に、祖母のモンペを引っ張って『…ここどこ?』と聞きました。何歩か歩いては『ここどこ…?』『ここどこ…?』って何回も何回も…。いつも口うるさい祖母だったから、『黙ってなさい』というのが普通なんですけど…その時は何も言わなかった。ただ黙って、黙って歩いていました。…祖母も怖かったんだと思います」

ブクブクに腫れあがっていた父

父・繁さんは、三菱電機の工場が疎開していた「渕国民学校」で被爆していました。爆風で崖下に飛ばされ、右目を失明するなどの大けがをしていました。

横山照子さん(83):
「父が水の浦にある会社の防空壕にいると連絡があって母が駆けつけましたそうなんですが、…そこにいたのは、ぶくぶくに腫れあがって、まぶたが垂れ下がって、唇はめくれて…。血のりもべたべたくっついていて、とても自分の夫とは思えなかったと話していました」