被爆から80年を迎える今年、長崎で核廃絶を訴え続ける女性がいます。長崎被災協の副会長でノーベル平和賞の授賞式にも出席した横山照子さん(83)。その活動の原動力には、原爆の影響で44歳の若さで命を落とした妹・律子さんの存在があります。

母と妹がいた長崎の自宅

横山照子さん(83):
「ここがうちだったんです。全部…」

被爆者の横山照子さん83歳。当時4歳だった横山さんは、アメリカ軍が長崎市に原爆を投下した時、長崎県島原に疎開していました。1945年8月9日、午前11時2分。その時、長崎市中新町の自宅には母と1歳の妹・律子さんがいました。

横山照子さん(83):
「6畳間にあったタンスの引き出しを開けようとした母と、縁側をつたって道に出ていた妹。母は妹をちょうど着替えをさせようとしていて『律ちゃん』と言った瞬間に、ピカっと閃光が走ったそうです。びっくりした母は外に飛んで来て妹に覆いかぶさったと」

母と妹にけがはありませんでした。しかし、その後の運命は大きく変わっていきました。