長崎で何をしていた?

長崎のフリーメイソンの会員の大半は、三菱長崎造船所に勤めるイギリス人たちだった。初代グランドマスター(ロッジ長)に選ばれたのは、長崎造船所の初代マネージャーのスコットランド人、ジョン・コルダー(JohnCalder)。ちなみに、コルダーの住宅は現在愛知県の明治村に移築保存されている。

最盛期の明治30年代前半には、数十人のフリーメイソンが長崎に在住していた。松田さんによると、長崎のフリーメイソンの会員名簿も残っている。しかし具体的な活動内容は記録されていない。名簿の中にはトーマス・グラバーの名前も、フレデリック・リンガーの名前もないという。

長崎に眠る会員たち

「ナガサキ・ロッジ」は発足の30年後の1919(大正8)年に活動を中止。大浦47番地の洋風建築も戦後に取り壊された。

表の門柱だけが保存され、当初は旧グラバー住宅と旧リンガー住宅の間にあるテニスコート跡に移された。そして1971(昭和46)年に始まったグラバー園の整備で、旧リンガー住宅の真横に移され現在に至る。

様々な情報を得られる場所だった「ロッジ」。開国後、急速に西洋化、近代化が進んでいった日本で、フリーメイソンは何を話しあっていたのだろうか?長崎の国際墓地には今も数人の会員が眠っており、彼らの墓標には門柱と同じシンボルマークが刻み込まれている。

ことし開園50周年を迎えたグラバー園では、「フリーメイソン」も取り上げた「グラバー園のあゆみ展~観光地で生まれたうわさと今~」を開催中。1885(明治18)年10月5日に開催された「ナガサキ・ロッジ」初の集会を呼び掛ける文書も展示されている。企画展は2025年3月31日まで。