「ともだちの街 宮交シティ」
ほかにも大切にされているのが、経営理念の一つともなっているこのキャッチフレーズ。


(1974年のCM)
『ともだちの街・・宮交シティ』
出演しているのは当時の社員
(宮交シティの元社長・渡辺綱纜さん)「ともだちの街、ともだちの街、宮交シティ・・・それが今も使われている、このように残っている」

宮崎を代表する商業施設として伝統を守りながら歩みを進めてきた宮交シティですが、その道のりは平坦ではありませんでした。
昭和から平成に入るとバブル崩壊後のデフレ不況により、親会社である宮崎交通の経営が行き詰まり、2001年にはプールやボウリング場が入っていた施設が閉鎖。

宮交シティ自体も売却され、2006年からは、東京に本社を置き不動産投資などを手がける「いちご」の子会社となりました。


(宮交シティ・石原実会長)「こちらは渡辺先輩(綱纜さん)の本、(自分が)就任して渡辺さんが来て指導いただいた。ここを最初に作った方を尊敬していろいろ教えていただくことはすごく大事なことだと思っている」
宮交シティの価値を高く評価するいちごでは、施設の名称を変えず、従業員を継続雇用。さらに2019年には、大規模なリニューアルも実施しました。

(買い物客・2人)「何年か前にこの形態に変わってすごく使いやすくなった」「いろんな世代の人が集まっているので、みんなから愛されていると思う」
また、宮交シティは、テゲバジャーロ宮崎のスポンサーを務めるほか、陸上部やテニス部を設置するなど、宮崎のスポーツ振興にも力を入れています。
今後は、自動運転などを見据えたバスターミナルの整備を検討するなど、交通の要所としての機能を再構築したいとしています。

(宮交シティ・石原実会長)「宮崎県を持続可能なまちにすることが我々の目標。交通拠点としての役割をもう一度見直して、新しい交通手段にも対応できるようなショッピングセンターになりたい」
「ともだちの街」として、半世紀にわたり親しまれてきた宮交シティ。
開業当時から変わらぬ関係者の思いが施設を支えています。

(宮交シティの元社長・渡辺綱纜さん)「愛される宮交シティというものをいつまでも続けてもらいたい、とにかく市民に愛されることが大事なことです」

「ともだちの街、宮交シティ ともだち歓迎」