病気により右半身不随となった男性ボウラー、懸命なリハビリを経て、先月、宮崎市で行われたボウリング大会で、12投、すべてでストライクを取るパーフェクトゲームを達成しました。

宮崎市のボウリング場で熱心にボールを投げ込んでいるのは、野崎俊哉さん(43歳)。

野崎さんは、先月18日、全国から選手が集まる大会に出場し、12投全てでストライクを取るパーフェクトゲームを達成しました。

(野崎俊哉さん)
「病気してここまでこれたというのがあったので、『もう、意地でも(パーフェクトを)出そう』と思っていた」

12歳からボウリングを始めた野崎さんは2008年、日本代表として国際大会で銀メダルを獲得。

地元、宮崎市のボウリング場で働きながら、県代表の選手や監督として国体に出場しました。

野崎さんを若い頃からよく知るボウリング場の支配人は。

(宮崎エースレーン 甲斐幸展支配人)
「パワーボウリング、スピードのあるパワー系。宮崎では過去(日本代表の選手は)いなかったので、かなりの期待をみんな持っていました」

しかし、36歳のとき、野崎さんはくも膜下出血を発症。
6時間に及ぶ手術を受け、一命は取り留めたものの、一時、右半身不随の状態となりました。

(野崎俊哉さん)
「手術が終わって目開けたときに、口も動かないし、右手も全然動かない状態だったので、医者からも普通の生活にも支障が出るからと」

病気後、ボウリング場の勤務を辞めた野崎さん。
家族で営むそろばん塾で生徒を指導するかたわら、再び試合に出ることを目指してリハビリを続けました。

一般的に競技用で使われるボールの重さは15ポンドで6.8キロあり、試合では、予選だけで一日9ゲーム、およそ200回、ボールを投げ込む体力が必要となります。

(記者)「ボウリングの球って重いじゃないですか?」
(野崎俊哉さん)
「15ポンドどころか、4ポンドのゴムボールも全く持てない状態。リハビリを頑張って、11ポンドから12ポンドって上げていって。大変でしたね。でも、リハビリを楽しくやろうとした自分がいるので、ここまで来たんだと思います」

現在も右手の指先にしびれはあるものの、手首をサポーターで固定すれば、15ポンドのボールを投げ込めるまでに回復した野崎さん。

7年ぶり、16回目のパーフェクトゲームという、大きな目標を達成したばかりですが、すでに新たな気持ちが芽生えています。

(野崎俊哉さん)
「リハビリボウリングからスポーツボウリングに変わった瞬間ですね。国スポにもう一回挑戦したいと思いがあります。(27年は?)まだ2年あるんで、もうちょっとリハビリを頑張って、宮崎県を背負えるような選手になりたいと思います。」

病気を乗り越えた野崎さんの挑戦はこれからも続きます。