浩子さんは小学1年の2学期から1945年の終戦までの2年あまりを水原市で過ごし、現地の日本人学校に通っていました。

野村浩子さん
「日本の小学校並みの施設はあった。クラスは日本人だけだったけど、1人か2人ほど朝鮮の人が混じっていたこともあった」
妹 明子さん
「『欲しがりません、勝つまでは、太郎さんも花子さんも同じこと』っていう歌詞だったかしら?欲しがりません、勝つまではとそれを幼稚園で友達と向かい合ってお遊戯をした」

当時、軍国主義の教育の中でも友達と遊んだり、朝鮮の人たちの集落に買い物に
行ったりと穏やかな日々を過ごしていた野村さん姉妹のもとに飛び込んできた日本の敗戦。

野村浩子さん
「私何してたんだろう終戦の日、覚えてない」
妹 明子さん
「私のかすかな記憶では、お姉さんのところに近くに住む同級生の女の子が訪ねて来て、その子が『うちのお父さんが包丁で手首をサッと切ろうとした』と二人で立ち話ししていた」











