15歳で枕崎を離れた俵積田さん。
(俵積田さん)「高校まで親にお世話になることはないなと、高校くらい夜間という道もあるから自分で行けるなと」
名古屋で町の整備工場に就職し働きながら夜間の高校へ通いました。

(俵積田さん)「『それをしたい』という自分の気持ち、苦になるわけはない」
4年で卒業した俵積田さんは、数年後、夢だった整備工場を地元に開業。

夢はそれだけに留まらず、1991年からおよそ20年運用された枕崎空港で航空会社を経営していたこともあります。
(俵積田さん)「空き空港だった、枕崎空港が。それだったら私がと。私は最高、昔やりたかった仕事を朝から晩までできるから」

Q.目標がその都度ある?
(俵積田さん)「今でもまだまだそれがないと人生はつまらない」










