俵積田さんはガソリンスタンドや整備工場をふるさとの枕崎で営んでいます。車の整備士になることが幼少期からの夢でした。

(俵積田さん)「車屋・整備工場をしたかった。工業高校にはいきたい」
しかし当たり前のように高校進学ができる時代ではありませんでした。

(俵積田さん)「我々より2・3歳上までは就職が半分以上」
3歳上の兄・2歳下の弟も県外に就職しました。

(俵積田さん)
「普通の農家の息子。農業の収入はその年の天候などに左右されるから貧しかった」
「食べることには困らなかった。うちの場合は『中学校卒業したら親に加勢を』と言っていた」

Q.就職を選んだ?
(俵積田さん)「選んだというよりそういう宿命。学校卒業したら働きにいくって」










