昭和30年代には、航空機の高速化、大型化が進みます。そうした中…。

(寺園勝志知事・当時)「これから中型機の飛行機が発着するには(鴨池では)無理な状況にありますので、このまま置いておくと取り残されてどうにもならない状況になる」
滑走路が短いことや住宅地に近いことなどを理由に鴨池から移転されることに。地形や、鹿児島市と30分で結べることなどを理由に選ばれたのが霧島市溝辺の十三塚原です。

騒音や家畜への影響を懸念する反発の声もある中、昭和45年3月、総工費およそ58億円をかけた新空港の整備が始まりました。

そして2年後の昭和47年、地方では初めてとなる国際線ターミナルを併用した現在の鹿児島空港がオープン。子どもも大人も飛行機に夢中になりました。










