「ああ~ 残念…」
そう言ったきり、男性教諭はスチール製の椅子の背にもたれながらパソコン画面を見つめ続けていた。
2021年1月29日、選抜高校野球大会出場校発表の日。春のセンバツ大会の「21世紀枠四国地区候補校」に選ばれていた愛媛県立川之石高校野球部。
海と山に囲まれた自然豊かな町の高校は、この日、見たこともないほどの報道陣の対応に追われていた。
そして体育教員室では2人の教諭が、自席のパソコンに映し出される「センバツ」出場校発表のLIVE配信を固唾をのんで見つめていた。ひとりは野球部の松本富繁監督。そしてもうひとりが、野球部「元監督」の梅本定男さんだ。

今から39年前の1983年、夏の高校野球愛媛大会で川之石は初の決勝進出を果たした。決勝の相手は川之江。指揮をとっていたのは、後にヤクルトで活躍した藤井秀悟投手を擁し今治西をセンバツ4強に導いた宇佐美秀文監督。「川川対決」となった決勝戦には、松山の目利きの高校野球ファンも多く詰めかけ旧松山市営球場は爽やかな熱気に包まれた。
しかし川之石は7対4で敗れ、甲子園初出場はならず。結局これが今のところ「チーム史上最も甲子園に近づいた瞬間」となっているが、この時の川之石の監督だった「梅本さん」の話が、とても興味深い。