最初に92歳で亡くなった方の生前の手記です。

「私の人生半世紀余り、水俣病の事は、だれにも言われず、 家族にさえも言わず、自分だけの心の葛藤、苦しみ、口に言い表せない辛さがひしひしと感じております」
「今まで必死に生きて来ました。この裁判の勝利するまでがんばって生きていきたいと願っております」

 次に 83歳で亡くなった方の裁判を引き継いだご長男の手記です。

「父は魚を捕るのが上手で、若い頃から投網などで魚を捕って、近所に分けたりしていました」「好きで水俣病になった訳ではありません。人に感染する病気でもないのに、差別されたり、偏見の目で見られたり、人に言えないような病気ではないんです」
「父は若い頃から出稼ぎで家族を支え、水俣病の母は震える手で20 年も半身まひの亡き祖母の面倒を診てくれました。そんな両親を自慢に思います」

 裁判の結果を見ずに亡くなった29人の原告患者はさぞ、無念だったと思います。私たち151人の原告は亡くなった原告仲間の思い、願いを担って、裁判を最後まで取組んでいかなければと思っています。