国及びレゾナック(旧 昭和電工)の代理人のみなさん
9年10か月、50回に渡る法廷での私たち原告弁護団の主張の正しさが今回の近畿訴訟判決で証明されました。さらに、この判決は国や県の「公害健康被害補償法の丁寧な運用を行う」ことによって被害者を救済する旨の主張がいかに間違いであり、欺瞞的であるかを明らかにし、全被害者救済の固い扉をこじ開け、解決に向けての大きな一歩を踏み出すことができました。
私は近畿判決を受けて、上京し、近畿、熊本、東京の原告と一緒に、環境省に「控訴しないで下さい」「全被害者救済に取組んでください」と訴えましたが、残念ながら、控訴されました。
私は環境省との交渉で 「本当に被害者を救済する気があるのか。 被害者はいつまで我慢すればいいのか。 被害者が一日も早く一人でも多く死ねばいいと思っているのか」「原告はすでに 28人が亡くなった。私たちには時間がない」と訴えてきました。
人道にも反する控訴は、到底、許されず、被害者の全面救済、全面解決を求める多くの世論から非難されており、その控訴は、到底、長続きできるものではないと信じています。

裁判官のみなさん
私は今年7月で80歳になりました。 第1陣原告として提訴したのが70歳で、10年の歳月が過ぎました。 足腰も弱くなり、 一年一年が長く、つらい日々を送るようになりました。
私の家族は亡くなった父や私が捕ってきた川魚を家族全員で食べて生活してきました。 私の妻と長女、そして姉も新潟水俣病の診断を受けて、裁判原告になっています。
151人の原告の平均年齢は74歳で、自分の裁判の傍聴で裁判所に出向くことも困難になってきた原告も多数です。それでも足腰の痛みを我慢して、杖を突き、家族の協力で裁判所に来て、原告側の発言に勇気をもらい、 被告の代理人が何を言うのか一言一言、聴き洩らさないよう傍聴してきました。
151 人の原告中、すでに29人が亡くなっています。私はここで、一人の原告患者の手記と裁判を引き継いだもう一人の家族の裁判への思いを紹介します。