皆川栄一さん
「雪をこうしてつかんでいても、冷たいという感覚があまりないんです。だから冬の期間、雪除けをやっていても手袋なんてしたことないです」

苦しむ皆川さんに、周囲からは「伝染病」「患者とは関わらない方がいい」そんな声が聞こえたそうです。
周りからの差別や偏見の声に屈しそうになったこともありましたが、皆川さんは水俣病の認定を求めて闘うことを決めました。

差別や偏見の声も… それでも新潟水俣病“認定”を求めて

皆川さんたちは2013年12月、国と昭和電工を相手取り、損害賠償や原告全員の救済を求めて裁判を起こしました。新潟水俣病の“第5次訴訟”です。

原告団代表 皆川栄一さん
「患者は多くいるわけでございますので、最後まで闘い抜いて、絶対に勝ち抜く決意でおります」

皆川さんは原告団長を務めました。犠牲を覚悟の上での決断でした。

皆川栄一さん
「(親族から)『お父さん、私たちの生活も考えてください』と言われました。こちらがしゃべるる間もなく、電話はガチャっと切られてしまいましたけどね」

以降、親族とは連絡をとっていません。6月で23歳になる孫の顔は小学3年生のころの記憶で止まっています。

皆川栄一さん
「この裁判が終わって決着して、勝っても負けても、とにかく結果がこうなったと。本当に苦労かけたりして申し訳なかったなと。それはこちらから連絡とってみたいなと」

提訴から9年。今までの思いを直接伝えるチャンスは、まだ訪れていません。