2023年で公式確認から58年となる「新潟水俣病」。手足のしびれなどの症状を訴えながら、新潟水俣病と認定されていない人たちが国と昭和電工を相手取り起こした裁判が続いています。
提訴からおよそ9年、いよいよ今年の秋に結審し、来年の春に判決が言い渡される見通しです。裁判の大詰めを迎える今、原告団は何を思うのでしょうか?
新潟水俣病の症状を訴える男性は
「ここが昭和電工から出てくる排水溝なんですよ。これが昭和11年から水銀が垂れ流された排水溝…」
阿賀町で生まれ育ち、新潟水俣病の症状を訴えている皆川栄一さん(79)です。

人や荷物などを対岸へ送る渡し舟の船頭をやっていた父親と一緒に皆川さんは、3歳のころから、阿賀野川で日常的に釣りをしていました。
皆川栄一さん
「学校から帰ると、まず河原に飛んでいって魚を釣ったりして、おかずにしたり、また翌日の弁当のおかずにしたりして、焼いたり煮たりして食べていたわけです。それが当たり前の生活だったんですよね」
しかし、1965年(昭和40年)5月31日、新潟水俣病が公式確認されました。