新潟水俣病の公式確認から60年の節目の日だった5月31日。
この日行われた浅尾慶一郎環境大臣との懇談会で菅原ハルさんは、40年以上抱えてきた苦しみと早期解決を訴えました。

浅尾慶一郎環境大臣

「何にもできない生活、こんな生活を40年も苦しい思いで生きてきました」
「私は85歳で、明日もわからない年齢です。どうぞ一日も早く解決をお願いしたいと思います」

差別や偏見への不安は今もぬぐい切れていませんが、全ての被害者の救済のため、菅原さんは実名と顔を出して闘い続けています。

「私らは悪くないんですよね、本当は」
「みんな国にそういう病気にさせられたっていうか…、本当に治してもらいたい」
「元の体に治してもらいたい、という気持ち。それだけですね」