終戦から11年後、1956(昭和31)年になってシベリア抑留者の帰還は完了します。

抑留が長引いた背景について、シベリア抑留を研究している関東学院大の小林昭菜准教授は、1946(昭和21)年に、日本を占領していたアメリカとソ連の間で約束した帰還事業がさまざまな理由でスムーズにいかなかったことを挙げています。

「船が来ないとか、港が凍結して船が出せないとか…」
「米ソとの協定の枠内である毎月5万人という人数が達成されないまま、ずっと帰還がスムーズにいかないという状態が続きます」

さらには、“社会主義国”ならではの理由も、小林准教授は指摘します。

「抑留先の作業現場における達成度ですね」
「ノルマが達成されないと、社会主義経済ですから、管理している側が罰を受けることになります。ノルマを達成するまでは帰すことができないとか…」