開発が進む一方で、このころも多くの若者が新潟を離れていました。
『集団就職』です。

74歳の女性は当時の様子をこう振り返ります。
「私は新潟商業を出たんですけど、出ない人は東京へ就職で『金の卵』と言われていました…」
中学卒業後に都市部へ就職した『金の卵』が当時の高度経済成長を支えていましたが、一方で当時のテレビはこのような報道も伝えています。
【当時のナレーションから】
「今年県外に就職する人たちは中卒者だけでも6800人に上り、若い人を求めている県内の企業にとって、深刻な問題となりつつあるようです…」

新潟は“仕事もインフラも乏しい”という危機感を感じていたのが、後の総理大臣となる田中角栄氏です。
【1972(昭和47)年のインタビューから】
「新幹線を作れば、東京で借家に住まなくたっていいじゃありませんか ―」

その言葉通り、10年後の1982年には『上越新幹線』が開通。
新潟と首都圏が2時間で結ばれました。